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長い誤解

Drugs 2026/5/29 17:49
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赤星

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  • この記事について これは、「薬物をやめよう」と思うまでに自分が何を誤解していたのか、それを整理する文章です。

薬物をやめて、まだひと月も経っていない。 今は精神科病院に入院している。 今回、自分はようやく「自分のために助けを求めた」のかもしれない。 そこに至るまで長い誤解があった。

■ 自助グループと自分

「家族が勧めるから」自助グループに行くことをした。自助グループに通っていたのは、現在より10年前の数年間だった。自分はやめられていないし、問題行動も繰り返すが、きっと「そこへ行く=やめたい意思がある=自身が依存症である」と、病識のあるつもりでいた。ただ、違った。 本音を言ってしまうと、自助グループに通うことは、その頃に限っては苦痛だった。その施設が遠方だったことも大きい。なにしろ自分は、電車の乗り換え、徒歩移動というのがとても嫌いなタイプで、しかし、自分のためというよりは、家族に嫌われたくない気持で続けていたと言った方が正しい。 やめるつもりがなく、最終的にはミーティングの部屋でなく、その控え室のようなところでAAの本を読み、そこにいた人に叱られることもした。受給者証が必要なタイプの施設だが、自分はそこにコロナを理由に行かなくなるまで「見学者」扱いだった。 「あなたはゆっくりしているから」 私が薬物をやめていなく、話をする気もなく、ただ、家族に嫌われたくないために嫌々来ていること、「やめたい気持ちがある」という、最小限の感情すらなかった事は、お見通しだったのだろう。

■ - 医療保護入院と自分

これまでの入院は全て、自分の同意によらない医療保護入院だった。保護者や代理人の同意があれば、本人の意思に関わらず入院させることが可能な精神科病院のシステムは、あくまで本人にとってだが、世界の善悪の全てが反転したような不快感を与えていると、そう思っていた。 それこそ、精神的な病が長期化しているならば、自分の根本的な考え方にも、やはり少なからず影を落とすのではないか。事実、誤解し続けていた自分は、これまでの入院をそう捉えていた。本音として主治医にSOSを出す時は、本当にどうしようもない場合で、自傷他害に関わることが殆どだった。 正直そこで、社会から切り離すのではなく、勇気を出して打ち明けたことを褒めて欲しかった。 しかし現実はそうはゆかない。 ここからも主観に基づく感覚になるが、ご了承いただきたい。 主治医は書類を並べ、「あなたは精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第33条①第1項に基づき…」と、そのときの自分に確認しようのない法を準拠とし、文言を読み上げてゆく。患者が取り乱した時に取り押える係か、診察室の中に何人も看護師が立ち、圧をかけてくる。何を反論しようが、既決したものに過ぎない。 そうして連れられた先は、幾重にも鍵をかけられた閉鎖病棟。着ていた服は下着を含めて全て脱ぎ、これに着替えなさいと言われる。何年も同じ業者に委託しているらしい馴染みの病院着だ。監視カメラがあり、便所にドアも蓋も無く、物理的ナースコールは無く、叫べば呼べるシステムであり、一時的な家庭内の膿として、打ち捨てられる場所だった。 ……かなり、悪し様に書いている自覚はある。制度そのものの是非を、ここで論じたいわけではない。あくまで、誤解が大き過ぎた当時の自分には、そう感じられた。 こんな体裁であるから、毎回「次からは本音を出さぬようにしよう」という決意が深まっていった。 それこそ、「こんな酷いことがあったのなら、自分は薬物を繰り返しても良い。次こそは尻尾を出さない。バレないようにやる。」とすら考えていた。 だからこそ、周りにSOSが出せなくなった。 自分のSOSは、酷い精神が根を張りつづけ、育ち、地面から芽を出した時、既にどうしようもなくなっているのが常だった。周囲も「お前は極端すぎる」とは言うものの、言葉の裏は若干違うのではないか。自分が「溜め込んでいる」ことを知っていて、それがどのタイミングで暴発するのか、恐れている。そして我がSOSを災害として扱っている。これが、一番近い。そうなると、自分は家庭内の地雷原であっただろう。そこを踏み締めていた家族の不安は、いかばかりだっただろうか。

■ - 薬欲求の発端

自分が精神を病んだのは、10代の頃だった。両親が離婚し、不安定になっていた。父親も裁判諸々の手続きで、病んでいたのだろう。自分に眠剤を渡してくれた。それは短期型睡眠導入剤で、健忘を起こした。思うに、そこから「薬を飲むと精神に影響がおこる」という勘違いをした。これは父親のせいではない。自分がそういった勘違いをしたことに他ならない。 むしろ、父親は「子に眠剤を渡した」事に後々、罪悪感を抱いたと思う。それこそ依存症としての私が「父親を傷付けた」結果になった。これがシンプルな回答だと捉えている。 まだ12ステップを文字媒体でしか知らない自分にとって、家族をテーマに書き始めることは、素直に言うとハードルが高い。NAに繋がったのち、更に書きたいと思う。

■ - 2026年の入院と自分

自宅── 自分の部屋は薬のゴミだらけ、ペットボトルだらけ。 360°どこを向いても、現実が突きつけてくる。同居している家族は、それを知って黙っている、と、いうより、意図して精神的キャパシティを当てないようにしている風に見えた。最後に入院したのは、2017年。9年間、自分は悪化し続けた。 家の中では、生活費や将来への不安が何度も話題になった。自分の存在が、家族の生活を圧迫しているように感じた。それなのに自分は「家にこれくらい生活費を入れているのだから、いいだろう」と漫然と考えていた。もはや、家族のみならず、家屋すら傷付けた人としてカウントすべきだろう。

自分のゴミだらけの部屋はゴミだらけだが、個人的なセーブポイントであり、立ち入られたくない場所だ。汚くとも心の中の鏡であり、スマホで言うならば鍵付きのメモ空間であり、作品で言うならば「助けてください」の声だった。 薬物の代わりに、コーヒーを何本も飲んだりすると、そこだけはゴミが目に見えやすいため、「体に悪いから」と言い、コーヒーは一日何本、などの思いやりある制限が付いたりもした。ならば、と、薬物に逃げたこともあった。 入院直前、自分の部屋に家族が立ち入ったこともあった。むろん、事情はあったのだろう。けれど、自分にとってその部屋は、汚かろうが、最後の隠れ場所だった。そこに入られたことで、最早この家に於いて、隠れることができないのだと思った。

長々と書いてきたが、上記の出来事によって気づいたことがある。この環境は「依存にまみれている私自身が、普通の家に住み着き、家族をぼろぼろにし、更に、自分をも傷つけている状態」だと。薬をやめないことを言葉裏に肯定する環境なのだと。「助けて」という棘々になった想いを「家族だから助け合おう」と飲み込まれる環境であると。 家族も自分も傷付けない手段があるとしたら、とにかくまずは入院しかない。ずっと主治医に「飲んでいない」と嘘を吐き続けていた、薬物依存が終わっていないことをさえ打ち明けなければ、一生このままでいると思った。 つまり、闇に飲み込まれて死ぬのだと思った。

■ - だから今、入院している。

現実的には家に一時的に帰らなくてはならない、相談員から話を受けた。 今から退院後を恐れている。欲求はすっかりゼロだと思っていたが、ゼロではない。話題に出されれば、すぐに薬物に手を出して楽になろうとする自分がいる。薬物に手を出す未来の自分さえ、見える気がする。

本来なら入院中にすっかりグループホームなどの住まいが決まり、一瞬たりとも家に戻ることなく、ストンと落ち着くのが理想だった。 だが、それを入院中に全て達成することは難しい。それはつまり、決まったグループホームがどうしても合わなかった場合だ。本来なら見学を数軒するべきであるし、毎月自分が自由に持てる金銭は限りなく少なくなる。だから理想でしかなかった。

なにしろ、この理想のビジョンの中にも、「生活必需品は置いてきているから、支援員などを同行してもらい、いずれ取りに行ければ最高だ」と考えていたからで、つまり、家に帰ることを先延ばしにしていたに過ぎない。これも依存の一部だったのだろうか?

∴

一言、自分が去年数ヶ月、薬物をやめられていた時の心の支えになった言葉がある。 「薬の欲求があるのは当たり前、涎が出て当たり前。だけど、行動を変えることはできる」 退院日当日はNAに駆け込む予定だ。

薬物をやめて、日はひと月も経っていない。

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