考える事はク○である
もう少し正確に書くと 考えて「選ぶ」事は必要だけど、考えても選べないまま「悩む」事は時間の無駄である
例え話 ➀目の前に10000円札と、同じサイズのトイレットペーパー。どちらか選んだ方をあげる 普通の人は10000円札を選びます。理由は10000円札の価値を知っているから。では ②50ポンド札と200トルコリラ札ならどちらを選びますか? …私はどっちの方が価値があるのか知りません笑
考えるとは、頭の中の本棚を探す事。自分の知識の中に答えがあるから、考える意味がある 「10000円札の方が価値がある」 そう理解して納得したから、手を伸ばした
でも②のような時、いくら考えても答えがでない時。それは「悩み」に変わります 「どっちが得をするかな…いやでも…うーん」 「なんでギャンブルを辞められないんだろう」
悩みの解決策は「考えるのをやめる事」 私の中には答えが無い。そうやって「諦める事」で「別の本棚」が見えてきます ネットで検索しよう、友達に聞いてみよう、医者なら何か知ってるかも…テキトーに選ぼう
自分で3分間考えてみて、それで答えが出せないなら「自分の中に答えが無いとき」です
考えるのは消費のみ、感じるのは補給でもあり消費でもある
人が1日に思考できる回数は決まっているそうです。 「白い服と赤い服、どっちにしよう?」で1回 「白い靴と黒い靴、どっちにしよう?」で1回 「声をかけようかな、どうしよう…」では迷ったぶんだけ何度も 「部屋が散らかってるな、片付けないと…」も迷ったぶんだけ何度も グルグルグルグルと頭の中を走り回って考え続ける、何時間でも悩めてしまう 精神と体力をすり減らして、疲れて適当になっていく。そして最後には「病む」 終わらせる(行動する)か、諦める(納得する)まで消費し続ける ミニマリストが推奨されるのは、余計な思考回数を減らせるから、だそうです
感じる事は栄養にもなる 心地良いやすらぎ、達成感、快感は、またやろう!続けていこう!と突き動かす 逆に 恐れ、不安、喪失感は足を止めさせ消耗させる
布団の感触に例えるとわかりやすいかもしれません ふわふわ、ひんやり、もふもふは心地よくなり ごわごわ、ごつごつ、ざらざらしていたら心身が休まらない
最近、自分が心地よくなる事をしていますか? 自分に心地よい事をさせてあげられていますか? それができないのは、余計な事を考えているからでは無いですか?
考えない方法
考えないためには、行動する事 初めていく場所に行きたいけど行き方が分からない。どうしよう? ✕その場で考え続ける(頭の本棚を探す) △行けないと思うから諦める(考えない) △とりあえず歩いてみるか(考えないで行動) ○地図を見てみよう(知るための行動) ○友達に聞いてみよう(知るための行動) 考えないで行動する事で、たどり着けない事や正しい行き方を体験や学習から「理解できるようになる」
感じる方法
感じるためには、触れてみること、行動する事 やってみる事でふわふわを感じて続けてみたり、ざらざらを感じて近づきたくないと理解できる
理解は自分の中に答えがあるから理解できるし 納得は自分が共感できるから納得できる 自分の中にないものは、理解も納得もできない 周りを頼るか、試してみないと理解も納得もできない
…だから 「もっと考えてみます」って答える人は信用できないんですよね🙄 「やってみます」とか「ここがわかりません」「教えてください」って言おうよ🙄 考えた結果の、失敗した今、なんでしょ🙄
自分が知らないから理解できない事を「納得」しましょう 知らない事は悪い事ではありません むしろ「私は知ってる」と 自分に対しても、相手に対しても嘘をついてしまってますよ

